旦那が救急搬送されて不安しかない妻のブログ

夫が無事回復したら見せるための備忘録です 改、日々の心情を綴ります

2020年12月7日

用事で出かけたりすると夫との思い出がふっとわいてきてところかまわず涙が流れるんですけど、最近「泣いてばかりおってもどうしようもないからやれることやろう」って夫の声が聞こえる気がします。
生きて生活していれば躓くこともトラブルに合うこともあるわけですが、夫は引きずらない性格というか切り替えが早いというか、前を向いて改善する方法を模索できる人なので励まされることも多かったです。
強い人です。




病院から連絡が途絶えて1週間経つので電話してみた。
「病院から家族への連絡ルール」

  1. 電話での問い合わせにはお答えできません
  2. 症状が悪くなったり検査の同意が必要な際のみお電話します。

は承知しているが、さすがに何も聞けない不安は積みあがっているので、電話で聞けなくても現在の状態と今後の方向を聞く面談ができないかと問い合わせたのだが、数時間後に主治医から直接お電話いただくことができた。


体につながっていた管は少しづつ抜いてきてはいるが人工呼吸器はまだ挿管していて鎮静剤で眠らせている状態に変わりはない。小さい脳梗塞はポツポツ見られるが鎮静下ではどういう後遺症が出るか、コミュニケーションが取れる状態まで戻るのか、あるいは脳死状態となるのかの判定は難しく、今後まだ数週間かけて慎重に様子を見ていく必要がある。
腎臓は透析をしているが(この段階で初めて透析してることを知る)将来にわたって必要なのか、機能が回復するかは同じく現段階で判定できない。
他に将来の後遺症について気になるところは多々あるが生命維持の優先から見ると4の次、5の次の話である。

主治医から直接今の状態を聞けたことは私の精神にとっての安心材料とはなった。でも、もちろんこの1週間で劇的な回復をするとは考えていなかったが今なお生か死かどちらに転ぶかわからないという状況にショックは受けている。「危機は脱しました」という言葉は当然なく一度の面会も叶わず、面会できたとしてもそれで私が判定できることは何もないんだけどただ顔を見たいという思いや家族が側に寄ることで気配を感じることでの効果を期待してしまう。
医療に非科学的な精神論は必要ないんだろうか。コロナさえなければと思わずにいられない。

それでも医療者側でも家族のケアは気にかけているようで、「面会できず状況がわからないからこその不安はあると思うので、電話でも対応させていただくので。」という言葉をいただけた。もちろん頻度の問題はあるが非常識でない頻度の問い合わせには今回のように応じてもらえるのを支えにしていこうと思う。




常に会いたいと思ってる。大きな手のひらで包まれてきたけど、私の両手でその手を包みたい。