旦那が救急搬送されて不安しかない妻のブログ

夫が無事回復したら見せるための備忘録です 改、日々の心情を綴ります

2021年1月9日

今更ながら自分がどれだけ夫を大切に思っていたか、それが「愛」だということを思い知らされている。
夫に対してそれを表現してこなかったことを後悔している。
夫はしょっちゅう「しゅう愛してるで」って言ってくれてた。
なのに私はそれに素直に「私も愛してるよ」って返してこなかったし、何なら日常の中にある些細な不満が勝って「何が愛してるやねん」と応えることさえあった。
「冷たい」とふくれっ面しながらも夫が私の本心をちゃんとわかってくれてることを私も知ってた。
私たち夫婦の形はそれでいいと思ってた。けどちゃんと言えばよかった。「私も愛してるよ」って。

毎日ベランダから夫がいる病院の方角を眺めて今どうしてるんだろうと思う。
祈って回復するものならいくらでも祈る。でもこの1か月半、何も変化はなかった。「私の気持ちは届かんのやなぁ」
祈って祈って気持ちが届く魔法が欲しい。
以前から私はいつも夫の方を見ていた。夫がいる会社の方角を見て「がんばってるかな」って思っていたし、単身赴任してた時もいくつも山や川をまたいだ向こうを見つめていた。
それほど夫を追っていたのに「愛してるよ」って言ってなかったなと思い返している。
だってたまに「愛してるよ」って返したときの夫の喜びようがすごかったから、それを時々見て私は幸せな気持ちになれていたんだよ。




夫が入院して最初は感じなかった気持ちがある。
特に年が明けてから日に日に強くなる。夫にまつわる責任を一身に背負う感覚。
私たち夫婦は天涯孤独ではなかったし、頼れるだろう人は家族も含めてそれなりにいる。でも夫婦として若かったころからあまり人に頼らずに過ごしてきたように思う。困難に当たっても夫婦で乗り越えてきた。
他人から見たら「自分たちはそう思っていても多くの人に支えられてるはず」と言うだろう。
それはそうなんだけど、困った時に意識的に誰かに頼ったことは思い返す中ではない。私が困ったときは夫に頼り、夫が困ったときは私に頼る。そんな感じだったから今、人に頼る方法や頼っていい範疇がわからない。それ故一人で背負う感覚が日増しに強くなっている。

転院のことをとってもそう。
病院のケースワーカーの田中さんが相談に乗ってくれるし、いろんな制度もアドバイスしてくれるので助かっているんだけど、こと転院先のことに関してどこまで無理を言っていいのかわからない。
私が無理を言うことで問い合わせる件数が増える負担になるのではないか。それでなくても対応できる病院が少ない中で一生懸命探してくれてるだろうに私が無理を言うことでストレスになるんじゃないだろうか?
私が無理を言わず言われたままの病院に転院することは病院としてはスムーズな転院を促したことになるんだろうけど、私が無理を言わないということは今後の夫の看護・介護に不満を感じることになるかもしれない。それは意識がないといえ夫が満足する転院と言えるのか?
どこで手を打つか。その判断も私次第となる。
辛い。
もう少し探してほしいとお願いすることは頼ることになるんだろうけど、一患者家族としてどこまで頼っていいものか。

同居している家族(実母・実弟)には心のうちを聞いてもらったりして支えられている。でも母や弟も私と同じく夫の状態に胸を痛め苦しんでるのに私だけが頼ってしまうことに引け目を感じている。「家族なんだから頼っていい。支えあっていけばいい。」それはそうなんだけど、やっぱり根本には「夫婦」夫と私があって、それ以外に頼ることに躊躇いがあり背負う辛さを拭えないでいる。