旦那が救急搬送されて不安しかない妻のブログ

夫が無事回復したら見せるための備忘録です 改、日々の心情を綴ります

2021年1月15日

夫は意識がない。
それは外からの呼びかけ・刺激に反応がないということをまとめて意識がないと言ってるけど、夫の頭の中は実際どうなんだろう。何か考えているのだろうか?考えているとしたら動かそうとしても動かない手足、声を発したくても出ない状態を憂いてばかりいるのか、それとも何かできることがあるかもと以前の夫さながらに前向きなのか。
私にはわからないし、伝わってもこない。
もし何か思っているとしたら私の行動や判断をどうとらえているんだろうと、わかりもしないことで日々迷い悩み続けてきた。

例えば夫が幽体離脱して私の頭上にいるとしたら。
私の判断に納得してくれているのか、不満を感じているのか。どうなのかとても知りたい。
「自分を責めるな。これ以上苦しむな。そこまで考えてくれてありがとう。」と思っているのか、「なんでそんな判断するねん。もっとこうできるだろう。こうしてくれよ。」と思っているのか。
周りの人は「しゅうがどんな判断をしても誰も責めないから」という。
周りの人が私を責めるかどうかなんて私にとってはどうでもいいことで、夫がどう思うかが大切なこと。
その夫の思いがわからない。

元々夫は私に「感謝」を伝えてくれる人だった。
日常の当たり前のこと、お弁当を用意して持たせることも、ワイシャツにアイロンをあてることも、富めるときも貧しき時も家族を支える=夫を支えることに感謝してくれた。
「こんな俺と居てくれてありがとう」
よく言われた言葉だからそのままの夫であればきっと感謝してくれる・・・というか私の判断に納得してくれるだろう。
それでも私には「夫が納得しているか」という気持ちがつきまとう。
それがわからないからなかなか前に進めずにいた。

それでも夫のためと割り切って、子供のため、自分のために前に進まないといけないと思いだしている。


今の夫は「生きてる」と言えるのだろうか?
本人が望まなかった「意思も何もなく、管につながれて生命を維持している状態」で生きていると言えるのだろうか?
それでも心臓が動いている=生きていることを喜ぶべきなんだろうか?

以前夫の状態が慢性化していると判断されたころ主治医から「今後のことのお話を」と言われ話したことがある。
私は正直に「冷たい発言かもしれませんが夫はよく『意思も何もなく、管につながれて生きたくない』と言ってたのでそれを尊重したい」と申し出た。
主治医はその意思表示は大切でその言葉を今はっきり言ってくれたのはいいこととしながらも、今人工呼吸器を外すことはできないこと、そしてその理由をきちんと話してくれた。

私は夫を殺したいわけではない。「死」を望んでもいない。
医療従事者の方々に対しては救急搬送された個体の命を繋ぐべく長時間の手術を行い必死の救命を行ってくれたこと。それ自体には感謝の気持ちを持っている。
しかしその結果、今の夫の状態となったことを喜ぶべきなのかは私にはわからない。
「生きている」と言えるのかどうかわからないから。
酷い言い草だと自分でも思う。