旦那が救急搬送されて不安しかない妻のブログ

夫が無事回復したら見せるための備忘録です 改、日々の心情を綴ります

2021年1月17日

「書けない気がするけど『今日の備忘録』は残さなきゃ」

そんな気持ちで今日もブログを綴る。
本当に今日は書かずにいようかと思っていた。今22:41までは。
でも夫が倒れてから欠かさず残してきた『備忘録』なのでやはり書かずには眠れそうにない。


今私の胸を埋め尽くしてるのは「自責の念」とでも言いましょうか。

大動脈解離というものは予兆がないというかじわじわと進むものではなく突発的になるようなので、夫が倒れたこと自体に「ああしていればよかった」という後悔はない。
高血圧だったり昨年3月に軽い心筋梗塞カテーテル手術を受けたりと気を付けて生活することはあるが、それには夫自身も私も気を配って生活してきた。なので生活スタイル自体に後悔はないのだが。

コロナ禍で自営業の仕事が潰れ、夫が夜勤のタクシーに乗ると言った時なぜ止めなかったのか。以前から夜勤の仕事をしていて生活リズムも変わらないからとなぜ受け入れてしまったのか。
日々の生活の中で一緒に過ごす時間は多かったのになぜもっと話さなかったのか。なぜ会話を流して聞いてしまったのか。
夫がgotoを利用して旅行に行こうと言った時なぜ叶えてやらなかったのか。
夫婦で行動する中でなぜもっと写真や動画を残さなかったのか。

救急搬送されてから面会が出来たのは2回だけ。(これは私の力でどうにかなることではないが)なぜもっと会えないのか、会おうとしないのか。
ただベッドに横たわる夫の気持ちがなぜ読み取れないのか。
(これも私の力でどうにかなることではないが)なぜ納得いく病院への転院を待てなかったのか。
なぜ夫の声の記憶が薄れていってしまうのか。
なぜ家から夫の匂いが薄れていくのを許してしまっているのか。

なぜ・・・なぜ・・・

夫が亡くなったわけではないのに、なぜ私は夫に関われないのか。
日常の中で夫が少しづつ薄れていくのが怖い。忘れはしなくとも薄れさせてしまう自分が憎い。