旦那が救急搬送されて不安しかない妻のブログ

夫が無事回復したら見せるための備忘録です 改、日々の心情を綴ります

2021年1月29日

2か月

夫が入院して今日で2か月となった。
あっという間だったような気もするし、とても長い2か月だったようにも感じる。
ただとても濃厚な2か月だったことは間違いないな。夫の側にいられないけどある意味濃密な2か月でした。




倒れてから2週間ほどはただただ回復が見えなくて「いなくなってしまう不安」に押しつぶされていました。
事あるごとに場所・人前を選ばず泣いていたし、かといって不安を吐露できる相手は限られていたので一点集中の負担を掛けたくなくて自分の中に不安を抑え込むことにも苦労しました。
一番相談して頼りたい人が倒れた夫本人なんですからそれまでの生活でどれほど夫の存在が大きかったか思い知らされました。
なのにやらなきゃいけないことはたくさんあって無我夢中で走り回っていたんですが、こういう底力みたいなものが私にはあるし、夫の為にやれるのは私しかいないと思うと不思議と体の疲労は感じず過ごしていました。




1か月ほど経つと症状は大きく変わらなくなり「いなくなってしまう不安」が少なくなる反面、「将来の不安」が大きくなりました。
大黒柱を失って自分が家族を支えていく不安、これから先長く続く医療費への不安、お金にまつわる不安を日々感じていました。
なんせ専業主婦ですから一から職探しをしないといけないわけです。ましてやコロナ禍。お勤めから長く離れていた者を雇ってくれるところがあるのか。

夫に関しては慢性期となり納得いく転院先も見つからず、気ばかりが焦る日々でした。
コロナでなければ・・・そう何度も思った面会全面禁止も致し方ないことであるのですが、まるで自分が自分と家族の先やお金のことばかり考えて夫の存在をないがしろにしているように思ってしまって自分の冷酷さに情けなくもなりました。
「面会できるなら毎日でも行くのに」そう思う気持ちも言い訳のような気がして毎日胸が苦しかったです。

やることもある程度なくなってくるし、自分の気持ちはそんなだしで、体調も崩しがちになってしまって。
こんなではダメだと自己嫌悪になったりもしました。




1か月半の頃には幾分前向きにという心持ちになれるようになってきました。
夫の症状も波はなく、転院先も割り切ることで決まったことで、後ろばかり向いていてはいけないと考えられるようになりました。
ソーシャルワーカーさんがとても親身になってくださって色んな制度を利用できるかもという知恵もくださったので真っ暗だった先に光が見えてきたといいましょうか。
担当ナースさんの心遣いなど人の暖かさに触れたことで心に少しづつ余裕を持てるようになってきました。




今でも夫が倒れたのがつい数日前のように感じているし、毎日見えない病院の方を見て回復するように念を送っています。
逆に夫不在の生活を整えることにも慣れてきて、もう随分前のことのようにも感じます。でもまだ2か月。


こんな状況、誰もがなりたい状況ではないでしょう。
「日常」は淡々と流れていきます。居て当たり前の人が帰ってくるのも当たり前。毎日顔を合わせて普通に会話していてこれが最後かもなんてそうそう思いもしません。だから難しいことかもしれませんが、「居て当たり前の人がいること」を時々かみしめてほしいです。
元気で毎日顔を合わせてそこに居ることはある日突然当たり前じゃなくなるかもしれません。
毎日かみしめることは「日常」の中では難しいかもしれませんが、時々そこに居ることに安堵でも感謝でもなんでもいいです。当たり前にいることをそれぞれの思いでかみしめてほしいと思います。
あと大切な人には大切だと、大好きな人には大好きだと言ってほしいです。
私の場合結婚生活も長くなると「好きな人」というより「同士」という感覚が強くなるし、よく言われるように「愛情」より「情」が強くなっている気がしてましたが、やっぱり夫は大好きな人です。
同士や情になると愛してるだの大好きだの言うのが気恥ずかしいと感じていましたがちゃんと伝えておけばよかったと、それだけは後悔しています。

この先も不安になったり泣いたりする日々は続くと思うけど、今の気持ちをずっとブログに残すことでまた読み返して覚悟しなおすことになるでしょう。
自分で自分を励ましていきたいと思います。