旦那が救急搬送されて不安しかない妻のブログ

夫が無事回復したら見せるための備忘録です 改、日々の心情を綴ります

2021年2月2日

今日、夫が転院しました。
急性期を過ぎ慢性期となったため大学病院から慢性期対応の病院に転院となりました。

夫の状態によって受け入れられる病院が少ないうえにコロナ禍です。
患者家族として転院先の選択肢はほぼ無いに等しく、しかし即断しがたい思いがあったので迷って悩んだあげくの割り切りでした。
今は不安だらけで何をしても涙が流れてしまいます。




朝、病院へ行って転院の諸手続きをしました。
看護師さんから移動のスケジュールを教えられて荷物を受け取り入院中のお礼を伝えたのち夫が病棟から出てくるのをエレベーターホールで待ちました。
主治医の先生も来られて「今の時点で気になっていることがあれば何でも聞いてください」と。
ずっと面会も叶わず自分の目で様子を見てこなかったので逆に質問も湧いてこなかったです。

時間になり、ストレッチャーに横たわった夫が主治医と看護師さんらと共に出てきました。
入院後3度目の対面です。会えた嬉しさで涙が溢れて止まらない。
「触れても大丈夫ですか?」と確認したうえで夫の頬を撫でる。2か月ぶりに触れる夫は私の知る夫の肌でした。
「しゅうだよ、わかる?今日、転院するよ。」と声を掛けると視線が少し動いたが私を見ているわけではなさそうです。
少し動画を撮らせてもらったのち、病棟の看護師さんやソーシャルワーカーさんに見送られてエレベーターに乗りました。
その間、私は夫から目を離せず、お礼の言葉を述べるも看護師さんらの顔を見ていなくておざなりな挨拶になってしまいました。

そして夫は救急車で転院先へ。
主治医と看護師さんが同乗され、私は車で後を追います。




当然救急車の方が早いので、私が転院先に到着したときにはすでにストレッチャーは救急車から降ろされ、夫も病棟に入ったようで姿はありません。
ここでも面会できればと期待しましたが叶わず、またしばらく面会できない日々が続きます。
主治医と看護師さんも病棟に入っており、私は入院手続きのため別の場所に促され、本当の最後のご挨拶もできないままでした。
手続きの待機中に大学病院の救急車が去ったのが見え、「あぁこれで大学病院との関わりもなくなってしまった」と感じました。




大学病院では定期的に主治医から連絡があったり、おむつを持参したり洗濯物を取りに行ったりすると細かく様子を教えてくださったり、夫の反応回復のために効果のありそうなもの(ラジオやiPod)の持ち込みを許可されたりと恵まれていました。
2か月も寝たきりなのに褥瘡もできないようなケアを受けていて、面会はできないものの安心してお任せできていたのでそれから離れる怖さを感じています。

本来どの病院に転院するとしても患者・患者家族としては医師・看護師を信頼するべきだとは思っていますが、転院先を「割り切って決めた」と言うのには訳があります。
はっきり言って地元だから聞こえてくる良くない噂も多々あるのです。そこにお任せするしかない現実と患者家族が望む理想が合致するとは限りません。
もちろん現に入院している方がいて、看護師さんたちはプライドを持って職にあたっているでしょうから、こんなこと言うのは失礼だと思います。でも、漏れ聞こえてくる噂というものに惑わされないほどの信頼を私はまだ持てていないです。

うがった目で見ていると相手にも伝わると思うし、現実を見て信じてお任せしようと転院が決まってからずっと考えてきました。
でも転院手続き待機中に聞こえてしまった。
「なんで受け入れたんですか」
先ほどまで私に対応していた看護師さんが主治医となる医師に発した言葉です。

名前を言ってなかったので夫のことだとは決定づけられる言葉ではありませんが、その前後の流れで「夫のことだろう」と私には思えました。
夫が重度の患者であることはわかっています。看護する立場からすると大変なのもわかります。内心「なんでこんな大変な患者を」という本心があるのかもしれません。でも家族が待機する場所を通るときにその言葉を発する無神経さに悔しくて悔しくて・・・流した涙は悔し涙です。
この病院への転院を受け入れた私の判断への悔し涙です。

夫が今後、どんな対応を受けるのか。心配でなりません。
もちろん家族と話し合った結果ですが最終的に判断したのは私です。私は不安のある転院提案に徹底して断るべきだったのか、今更ながらそう感じています。