旦那が救急搬送されて不安しかない妻のブログ

夫が無事回復したら見せるための備忘録です 改、日々の心情を綴ります

相談したいのに

夫が入院した時もそうだったんだけど、相談したいのに相談したい相手がいない(入院)でかなり焦りを感じたんです。
いつも家庭にまつわる采配は私に任されていて、私の判断を信じてくれてると感じてはいたんだけど、些細なことでも相談したいことは真っ先に夫に相談していました。
そしていつも「任せてるんだから」という返事は一切せず丁寧に熱心に相談に乗ってくれたので肝心な時の心強さがありました。

延命治療について考える必要があったときも、転院の話が出たときも、それこそ亡くなってからも、相談したいのに何で居てへんねん!と不安と焦りが時折浮かびます。

そんな私が今相談したいのは次男の進路のこと。
次男は今高校1年生。航空管制官になりたいという漠然とした夢があります。
でもそれはもう今の段階であきらめなければならない夢であることが判明しました。

子供たちの進路については夫が倒れて以降、義弟・義妹がとても親身になって相談にのってくれます。
それは私を介してだけではなく直接子供たちにもアドバイスしてくれるので、子供たちもそして私もとても心強く感じています。
弟・妹と言っても私より年上でとても理論的で落ち着いた考え方ができる人で尊敬しています。
でもそれぞれ家庭があるので全面的に頼るわけにはいきません。
私のない知恵を絞って次男にアドバイスせねばなりません。

次男は昨年夏に陸上自衛隊高等工科学校を知り入学を希望しました。
私はその道に詳しくないので夫が親身に進路相談にのって見学に行ったり自衛官担当者の方とも話をする中で、やはり入学試験を受けるにはネックになるものがあることが判明しました。
右耳の難聴です。

中学の校長先生とも話して推薦状(学業に関してのもの)を書けることまでは確認しました。
でもたとえ筆記試験に合格しても二次試験の身体検査で必ず引っかかります。
それが受験要綱に記載されている時点であきらめるしかなかったのです。
自衛官担当者との話では「それでも合格に至る可能性はあるんだけど・・・」と受験を示唆されましたが、将来職に就いたときに先に進めなくなる可能性は大いにある中で「受けてみたら」と私たちは言えず話は流れてしまいました。

次男は自分の身体にある障害で夢をあきらめなければならないという経験を初めてしました。
今までの日常生活では難なく過ごしてきて、将来の進路の決定に差し掛かったら制約に引っかかった。
それほど落ち込んだ素振りは見せなかったものの、心の中では少なからず悔しさを持ったと思います。
それが一度ならず二度までも・・・。
次に目指そうと思った航空管制大学校でも身体検査があり、難聴の要綱に引っかかってしまう。
それを早い時点で知ったことを喜ぶべきか、まだ選択肢をいくらでも変えられる時期でよかったと思うべきか。
どんなアドバイスをすればいいか悩ましい毎日を送っています。

でも次男は強い。
ヤケになることなく、クサることなく、「四大行った後のことやからその時何か変わってるかもしれへんし。ほかにやりたいこと見つかるかもしれへんし。」と言います。
「赤ちゃんの時は治らんって言われたけど、もう一回耳鼻科行って相談してみようかな。」とも言います。
すごく前を向いてる。

中学の時は反抗期で手を焼いた次男です。本当にどうしようもなくて私も疲れて夫にバトンタッチすることもありました。
その子がしっかり自分の道を考えている。
なんでこんなに強くなったんだろう。私の子ならシオシオになってふてくされてダラけてもおかしくないのに(笑)
きっとこの半年の出来事が、夫が彼を強くしてくれたんだと思います。

だから夫に相談したいけど、めっちゃしたいけど!
次男のがんばりを支えられるように、私もいっぱい考えて悩んで頑張ってできることを見つけて支えていけたらなって思います。