旦那が救急搬送されて不安しかない妻のブログ

夫が無事回復したら見せるための備忘録です 改、日々の心情を綴ります

小さな壷

この3か月、毎日小さな壷と少し大きな壷を見つめてきた。
そして毎日思った。
「あの大きな体がよくもまぁこんな小さいところに納まってるな」と。
どうやったらあのサイズがこの小さなところに納まるのか不思議に思ってた。
手品みたい。
もちろんその仕組みは知っているのにわざと不思議がって考えてみたりした。

人は亡くなると荼毘に付されて小さな壷に入る。
もちろんどんなに体の大きい人でも小さな壷もしくは少し大きな壷に入るシステムになっている。
正確に言えば容量分だけ入る。
入りきらなかったのは?
自治体の決まりにしたがって「処分」される。
だからなるべく体の全てを入れたいけど、そうするとまるでどこかのスーパーで売られている1袋詰め放題みたいにぎゅうぎゅうに詰めかねない。
「砕けても溢れそうでも蓋が閉まればOKです!」とはならないものだ。

不謹慎でした。すみません。




今日、小さな壷を納骨してきた。
亡くなってすぐのころは四十九日法要に合わせて納骨したいと思っていた。
夫をしかるべき場所にしかるべき時に穏やかに送ってあげたいと思っていた。
でも理由あってそれは叶わなかった。
だから3か月もの間、私は毎日小さな壷と少し大きな壷を見つめてきたし、それは夫が側にいる感覚として身に付いてしまった。

今朝小さな壷を連れて出る時「これで穏やかに過ごせる場所に行かせてあげられる」と思ったのに。
帰宅して仏壇に目をやると・・・半身を引き剝がされたような気持ちになってしまった。
今朝までうちにいた夫がいない。
どうしよう・・・。
本当の本当にいなくなってしまった。

「安心して行っていいよ。子供やうちのことは任せて。」って言いたい気持ちはやまやまだけど、
今はただ、いなくなって寂しい。


納骨の時期というのは宗派や個人の気持ちによって様々だけど、亡くなった悲しみのうちにどんな理由があっても送り出せばよかった。
いつも側にいるのに慣れてしまう前に。
亡くなった悲しみが癒えかけたときに再びさよならするのは心が抉られる。
寂しい。