旦那が救急搬送されて不安しかない妻のブログ

夫が無事回復したら見せるための備忘録です 改、日々の心情を綴ります

想い出を語り合える人

自分の気持ちや思い入れと相手のそれに差があると感じることありますよね。
そんなことあって当たり前です。わかっているけど、少し寂しく感じるのも事実。
同じ対象のことを同じテンションで語り合えたらベクトルは大きくなるけど、そうしないことがいいこともあります。
マイナス方向のベクトルは伸ばしすぎるとなかなか戻れなくなる。

先日、義妹夫妻のお誘いを受けてランチ&京都散策に出かけた。
その日、夫のことを話しだしたのは私ばかりだったと帰路に気づいた。
「あんなだったね、こんなだったね」と想い出話を口にするのは私だけ。
義妹との繋がりの間には夫がいて共通の存在・話題だと思っていたけど、彼女の口が兄(夫)のことを語るのはごくごく少なかった。
ふと「兄妹なのにさっぱりしたものだな」と一瞬考えたんだけど、でもそれも間違ってないんだろう。

「血は水より濃い」という言葉があるけれど、それはいつまでも悲しみに暮れているということとイコールではないよね。
私はまだ悲しみに片足突っ込んで生きているけど、それを受け止めて進んでいる生き方もまた正しいこと。
妹と妻では関係性も違うし、兄妹もよく言っていたけど私と暮らした年月は妹と過ごした年月を越えていて、濃密さで言えば血を越えているのかもしれない。
だから私と同じ感覚でいるはずもない。

子供たちとでさえ「父親」としての夫のことはいくらでも話せるけど「夫」としてのことは語り切れない。
そうか・・・もう無遠慮に話せる時期は過ぎてしまっているのかもしれないな。
むしろ同じ経験をした他人の方が同じ痛みを語り合えるのかもしれないな。

マイナス方向のベクトルを育ててしまうとそこに浸っていることが当たり前になってしまって抜け出せなくなる。
だから語り合える相手が減ってしまったことは悪くないこと。
私が健全に生きていくためには必要なこと。胸の内をグッと抑えるのも必要なこと。野放しにしていてはいけないんだと近しい人を見て思ったりした。

でも今はそれが寂しい。