旦那が救急搬送されて不安しかない妻のブログ

夫が無事回復したら見せるための備忘録です 改、日々の心情を綴ります

一周忌を迎えて

3月14日
夫が亡くなって1年が経った。
去年の今頃は通夜の会場で慌ただしく打ち合わせを行っていたころか。
昨日、一周忌法要を終えた。
つい先日、葬儀を終えたばかりの感覚なのはこの一年があっという間だったのか。
もう随分前のことのように思うのはこの一年が長かったのか。
支離滅裂。
あの日私がとった行動の源は間違いなく「夫のため、夫が喜ぶように、夫が望むように」だったけど、この一か月の間はちょっと心持ちも違ったので書き留めておきたい。

hubby-memorandum.hatenablog.com




私は年明けからゆっくり一周忌に向けての準備を始めていた。
一周忌を行う日を決め、菩提寺に法要のお参りを依頼し、親兄弟に連絡をした。

義母から「家族だけだからそんなことしなくていい」と言われながらも粗供養を選び、法事膳をどうするか考えた。
義母のいう「そんなこと」は主を亡くした私たちに余計な負担を掛けさせたくないという気遣いだろうと思う。
その気持ちはありがたいが、私が主になった今家族だからといって礼を欠くことは私の性格が許さないことは夫もよくわかっているだろうと、「やらせてください、私がやりたいんです」の気持ちで押し通した。
今まで主となり葬儀や法事を行ったことのない義両親や義兄弟にはきっとわからないだろう。
残された者がそれをきちんと作法に沿って行うことで気持ちが落ち着き整理できることがあるということを。
「派手にしなくてもいい」とも言われたが、私は夫と25年連れ添った中で義実家絡みの葬式や法事は一度もなかった。だから義実家サイドの派手のラインがわからない。
私の実家の法事しか知らないので、葬儀含め以降の法事は私としては最低限のつつましい法事だと思っている。

そして何日もかけて家を少しずつ片付けて人が来ても恥ずかしくないようにした。
日々コツコツ片付けをしていれば……と思いながら日々の自分の雑さを反省した。

その日が近づくにつれて、心がガンガン揺さぶられる日が増え、不安定感は増したけど以前のように表立って……周りの人に伝わるような不安定さはなかった。と思う。
人前でダラダラと涙を流すことはなく、ただ自分の中で夫との日々を、そしていなくなってからの日々を反芻して消化する。
また逆に考えないように他のことに集中する。
それを繰り返して「穏やか」に少しづつ近づいていったように思う。
敢えて人前で気持ちを吐露し涙を流して言葉をもらうということをやった時期もあったけど、そんなときにかけられた言葉は全く自分に響かなかった。
時間を割いて会ってくれた方々には大変申し訳ないが結局当事者にしかわからない感情があって、吐露する快感はあってもただそれだけだった。
最たるものが夫に一番近い存在の義家族だったけど、彼らは親兄弟揃ってドライ!ドライ!!ドライ!!!
亡くなったことを淡々と受け止め割り切る言葉にそれが正解なのかもと一瞬考えたが、感情で生きている私には受け入れられず、以降彼らに感情を話すのはやめた。
そして自分の中で消化することを覚え、もがきながらも小さな結論を一つづつ出していくのが私には合っているとわかって今に至っている。

とは言っても義家族をフォローするなら、ドライと言っても彼らも心の中に秘めた感情はあるのかもしれない。
最初から自分の中で消化する術を持っているから私には異質に思えただけかもしれない。
私と同じに感情をガンガン揺さぶられてることを表にださないことを非難しているわけではない。




法要は本来亡くなった人を親しい人で弔う会なんだろうけど、私の場合夫が亡くなったことを念押しする一つの機会だった。
この一年「夫が居たらなんと言うだろう。どう過ごすだろう。」と考えることが多かったが、もう私は夫がどう言ったかではなく私の判断で物事を決めていかなければならない。

最初は葬儀をどうするかに始まり、直近では長男の就職問題など夫婦で話し合いたいことはたくさんあったが、それができない心許なさに嘆くばかりではいけないとわかっている。
わかっているけどそれでもと心の中で夫に頼り続ける日々を送ってきたが区切りをつける機会として一周忌を迎えた。

久しぶりに会った人たちはみんな同じことを言う。
「どう?だいぶ落ち着きましたか?」
私は答えに窮する。
落ち着いたと言えば落ち着いた。葬儀から四十九日、初盆まではスパンが短く次から次へとやることが押し寄せて心身共に慌ただしかった。
それがこの一周忌を迎えるまでは期間もそこそこあり、食う寝る働くの日常生活を淡々と送ってきたのだから落ち着いていた感覚はある。
しかし心の中は相変わらず日々夫の存在が浮かぶ。するとザワザワすることは少なくなくまだ落ち着いたとは言い難い。
でも対外的には「なんとか、ぼちぼちやってます。」と言うことで周りを安心させることはできる。

無理に気持ちを切り替える必要なんてないとも思って過ごしてきたし、これからもそれは同じだけど、少しずつ自分主体で生きていくことは必要で、
その切欠が一周忌かなと考え出した私は留まっていられないことをわかっているから、ちゃんと進んでいると思う。
前に進むと言うとどっちが前だか、どれが正解の前だかわからないけど、きちんと一周忌を執り行い夫の死を自分に念押ししたので「夫のため、夫が喜ぶように、夫が望むように」ばかり考えて自分の道が見つからないよりずっと進んでこれたと感じている。

すごく当たり前でバカバカしい話だけど、物語のような出来事は起こらない。
夫の姿が見えたり言葉をかけてくれたり頭を撫でてくれることもない。この一年で身をもって分かった。
だから「夫が居たらなんと言うだろう。何を選ぶだろう。」を減らしていく。

一年前のブログを読み返して、胸がぎゅっとなって、目頭があつくなってくる。
それでも私は自分で考え自分で決める覚悟をきちんと持つ努力を続けていく。




2021年3月14日で人生が大きく変わった。
でも今は昨日と今日では何も変わらない。
私もまだ変われてないけど、覚悟を持って生きていく。
そんな一周忌でした。