旦那が救急搬送されて不安しかない妻のブログ

夫が無事回復したら見せるための備忘録です 改、日々の心情を綴ります

私が元気なのは・・・

私は日々大きく凹むことなく元気に過ごせているほうだと思う。
ただしそれは家族も含めて人前でのこと。自分の中では今なお色んな感情がぐるぐると動き回っている。
私は夫に関して生まれた色々な感情を人々に告げて回らないし、それなりの元気さでもって色んな事にあたっているんだけど、それは「終わったこと」としてしまったからではない。
他人と共有できる夫の思い出は一緒に語りたいが、私だけの夫の思い出は一人で噛みしめたいと思っている。だから人前では平然としているのだけど・・・


私はまだ夫が亡くなったことを受け入れきっていない。
普段は「夫が長期出張に行っている」感覚が近い気がしている。我が家には夫の気配を感じることはたくさんあって、帰ってこないことはわかっている反面いつか帰ってくるような気持ちで日々を過ごしている。
去年の11月29日の朝の続きで「今から帰るわ」ってコールがあってもおかしくない心持ち。
そんな感じで過ごしていて視線をスッと移せば夫の中陰壇が目に入り「やっぱり死んだんだよね」と再確認するんだ。

居ないことの寂しさはふとした瞬間にやってくる。
朝、まだ布団の中で起ききれず何度も寝返りをうつ時間に「ただいま」って帰ってきた声がしない。
昼、リビングで手巻きたばこの巻き機をカチャカチャ鳴らしならが巻く音がしない。
夜、それぞれの布団に入ったあともぞもぞと手だけを伸ばして繋いでこない。
夕食後、一息ついて過ごしているときアイスが食べたくなって「コンビニ行こうよ」って誘ってた相方はもういない。
夫によってもたらされてきた当たり前がどれもないのだ。それがとても寂しい。
でも日々手を合わせて夫に話しかける対象があるから二人がそんなに離れた気にならず、時折くる激しい寂しさも乗り越えられている気がしている。

夫宛の電話に亡くなったことを告げるとき、テレビを流していてどこかのご夫婦が映ったとき、魚の切り身を1枚多く買ってしまったとき、私はつがいのかたわれになってしまったことを再確認するんだけど、中陰壇に目をやると側にいる今までの感覚を取り戻せている。

事務的なことはほとんど片付け整理したけど、自分の気持ちだけが整理できないまま。
でもまだまだ慌てて整理する必要もないし、並んで座っている感覚でいたいと思っている。