旦那が救急搬送されて不安しかない妻のブログ

夫が無事回復したら見せるための備忘録です 改、日々の心情を綴ります

二つの日にち

夫が亡くなったのは3月14日、そのきっかけとなった病に倒れたのは11月29日。
私の中ではこの二日が基準日になっている。
何をするにも、指折り月日を数えるのもこの二日からどれだけ経ったのかと考える。もう1年経ったのね。
私の中ではついこの前のことのように感じているけど、最後の会話から1年も過ぎてしまって、なのに私の進む道には今も靄がかかったままだ。

思い出は美化されがちとよく言われるけど、私は夫と共に生きて苦楽の時を過ごしたことを忘れないし、25年以上一緒にいて離婚しようと思ったことも1度や2度あったけどそれでも夫の大きさ(心理的にも物理的にも!)を今も感じ続けている。
開いてしまった穴はとても大きいから(心理的にも物理的にも!!)そんなに簡単に埋まらないけど、ミリ単位でも進んでいくから。
あんまり心配しないでね。
と言ってあげたいんだけど、やっぱり寂しいし心配かけずにすむ心持ちになる日はまだまだ少ない。
夜勤に出る夫と「いってきます」「いってらっしゃい」と最後の言葉を交わしてからもう1年経ってしまった。
1年て長いようであっという間だったな。




今の私は"働き方の選択"を間違えたことで仕事で苦悶の日々が続いたため離職を決断したところ。
夫が倒れるまでは2年ほど家庭のことに注力して過ごしてきたから、急にフルタイムの仕事で勤務時間中頭をフル回転させるなんて無謀な決断なのにそれが自分にできると判断したのは間違いだったと気づかされました。
そりゃまだ学生の息子たちが居てお金が必要なことも多いけれど、夫の担っていたことを私がそっくりそのまま埋めなければ!って意気込みと不安から判断力は相当鈍かったのだと思う。
今のまま自分に無理を強いていたら病んで働けなくなってしまうと気づき、収入は少なくても気持ちにゆとりのある働き方をしようと再度就活中。

ストレスを抱えて残った家族でぶつけ合うんじゃなく、今は穏やかに過ごせる時間が必要で、辛い時や寂しい時は家族で支えあっていきたい。
そういう心の余裕を持った状態で暮らしていきたいの、今は。




さて、夫が倒れて1年経ったが私は今も夫のスマホを充電してしまう。日々届くのはしょーもないDMばかりで、夫の知人友人から連絡が届くことはなく、それでも数日放置していて充電0%になっちゃうことも数回あったものの、何となく・・・やめらない。
でも夫のパソコンは今も開けないまま。
パスワードは予想がつくのでいくつか試したら開けられると思うんですが、その中身を精査する気力はなく。
初期化して息子に使わせようかとも思った時期もあったけど、夫が残したデータ(写真も将来の計画も思いも)を精査せず消してしまうなんてできなくてケースにしまったまま。
そんな夫のスマホにLINE着信が!
まだ夫の死を知らない方がいたのね・・・とお返事しようとしたけど何かが引っかかる・・・?

Facebookの夫の友人にその方が居ないか検索したらいた!
そしてその方のエントリーを拝見したらどうやらLINEが届いた数日前に乗っ取りにあったということが判明。もちろん夫に届いたのは乗っ取り野郎からのLINEです。
返事しなくてよかったー!!!未読のままなのでそのままそっと削除しました。
虫の知らせ?私の機転?(笑)
あのまま既読して返事してたら夫のアカウントも乗っ取られたり周りに迷惑かけることになっていたかもと思うと、本当にワンクッションおいて確認してよかったなと。
こういうカンはよく働くくせに、もっと大切なことには鈍感な私。
改めて自分と家族を大切にすることを第一に判断力が鈍らない程度に生きていきたいなと思う。




去年の夫の誕生日に二人である神社にお参りに行った。
そして1年と少し経った先日、今度はお礼参りに一人で参ってきた。

夫は車を運転することを生業としていたけど"その時"は就業後に駐車場で後片付けをしていた時だったので、お客さんを乗せている時や運転中に発症して事故を起こしたりしなかったのは不幸中の幸いだと思った。他人を傷つけることなくてよかったと思った。神社で授かった交通安全のお守りのおかげだと思った。
夫はそのお守りをスマホケースに挟んで、ポケットにいつも入れていたのでまぁ肌身離さずに近い。そのお守りがもたらしてくれた幸いだと感じていたのでお礼参りに。
それも考えすぎ?
古札をお返しして新しいお守りを授かった。今度は私のために。
もっと強くなりたい。そのために今はまだ夫との軌跡を辿って夫にゆかりのあるものを側に置いて、心の支えにしているんだ。